館――幽霊奇談 そのに 幕間

 

「いい加減帰りたいと思っているでしょう」
  いつもの人を食った笑みを浮かべたまま、後部座席に座った大和が声を投げかけてくる。不二はどうでもよさそうな態度で応えた。
「分かっていらっしゃるなら、どうして僕を秘書代わりに連れ回すんです」
「君が素直じゃないからです」
  バックミラー越しに、運転席から睨みつける。サングラスを掛けているので目は見えないが、どうせ人を馬鹿にした顔をしているに決まっている。
「意味が分かりません」
  ふふ、と大和が声に出して笑った。
  この男はいつも笑っている。不二自身も、いつも笑顔だと言われるが、どうしても大和の前ではいつもの表情が保てない。
「不二くん、君は好きな人が多すぎる。その割に浅い。傷つくのは君もですけど、好きな人もですよ」
「説教なら遠慮いたします、大和様」
「苦言を呈しているだけです。年長者の言うことは聞くものですよ」
  何が年長者だ、と心の中で毒づく。誰よりも子どもなくせに。手塚に見せてやりたいと思う。このわがままな暴君の真の姿を。
  大和と二人だけでいることはひどく窮屈だ。普段、仕事着として白シャツにタイを身に付けるのに慣れてしまったので、スーツのジャケットがまず着心地が悪い。腹の探り合いのような会話も気分が悪い。何もかもが嫌だ。
  なのに大和の下で働いている。この男の身の回りの世話をして給料を貰って生計を立てている。この苦行を耐えているのは、大和の言う自分の「好きな人」が大和の身近に「多い」だろうか。不思議なことに、この男は信望が厚い。あの手塚ですら懐柔されてしまっている。こればかりは、不二にはまったく理解が及ばない。
  そうそう、と大和が運転席に軽く身を乗り出してきた。
「新しい医者を呼んだんですよ」
  歌うように挙げた名前に、既視感を覚えた。
「乾――貞治? ……」
  聞いたことのある名前だった。昔――何処かで。……ちょっと思い出せそうにない。不二は頭を軽く振って溜め息をついた。物忘れが激しい年になったとは思いたくない。
「手塚くんが気に入ってくれるといいんですけどね」
「気に入らなければ辞めさせればいいだけでしょう」
「乱暴なことをいいますね、不二くんは」
「そもそも、まともな人間が続くとは思いません。あの館じゃね……」
「ああ……」
  大和が思い出し笑いをする。小さく肩が揺れた。
「あのお嬢さんがいらっしゃるから」
  ――大和家の生きていない住民のことだ。数年前から現れだした、彼女。みんな慣れてしまったので放置しているが、普通だったら慣れるような現象ではない。自分も含めて、図太い奴が揃っているのだろう。
  乗り出した身体を再び後部座席に埋めて、大和は自分のジャケットのポケットから煙草を出した。口に咥えて火をつけて、吸って吐き出す。煙がこちらまで漂ってきて、ひどく嫌だった。
「さて不二くん」
「は」
「お役ごめんです」
「――はあ」
「本物の秘書が来ました」
  大和の言葉と同時に、助手席側の窓ガラスを叩く小さな音がした。
  手を伸ばしてロックを解除すると、不機嫌そうな男が滑り込むように入ってきた。
  ぱっと見、少女めいた美貌の持ち主だが、目つきの鋭さで男性だと分かる。
「観月」
  不二がその名を呼ぶと、観月は一瞬だけ不二を見たが、すぐに大和を振り返った。
「僕はもう酔狂に付き合うのはごめんですよ、大和さん」
「そうですか、すみませんね」
  文句をいう観月を受け流し、大和がまだ中途半端な長さの煙草を灰皿へ放り込んだ。
「まあ、お疲れさまです観月くん。首尾はどうですか?」
「人の話聞いてんですか貴方」
  有無を言わさぬ口調で、大和が繰り返す。
「ですから、首尾は」
  舌打ちをしそうな勢いで、観月がまくし立てるように報告した。
「――柳沢と木更津がうまくやりました。ちゃんと渡したのを、僕がこの目で確認しました。金田と赤澤は後で合流します」
  観月の説明に満足したのか、ポンと手を叩いて不二に向き直った。
「というわけです、不二くん。ご苦労様でした、戻って良いですよ」
「言われなくとも」
  運転席から出ると、助手席の観月が上手く身体を滑らせて運転席へ収まった。
  ようやく解放される……。安堵とともに、一言言ってやりたい気持ちがふつふつ湧いてくる。ドアを閉める手を止め、大和に皮肉気な笑いを向ける。
「大和様、貴方がしてることを手塚様が知ったら、どう思うでしょうね」
  しかし不二の嫌味にも、大和は動じることはなかった。髪の毛一筋分も動揺を見せない。
「手塚くんは案外汚いことを受け入れてくれる――そう思ってますよ。必要悪の存在を理解してます」
  その余裕。想われている余裕が、無性に腹が立つ。
「――――」
  不二は何も言わずにドアを閉めた。やがて走り出す白い車に軽く一礼した。
  慈善事業もする。傍ら、政治的根回しもする。手段はまったく選ばない。違法だろうと合法だろうと、益になるものには手を出す。
  子どもの無邪気さで、大人の汚濁にまみれた行為もする。
「嫌な男だ」
  不二の大和に対する感想はそれにつきる。
  白く磨かれた車体が消えるまで、不二はその姿を追っていた。

 

2004/6/24

 

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