020:合わせ鏡

 

「大石、そういえば今日はオマエの誕生日だったな」
 部活が始まる前、着替えていた最中に背中越しに大石に話し掛けた。
「ああ、そうだよ乾」
 横顔で視線だけ向けて、彼が頷く。
「そーなんスか?」
 その話題に一番先に食いついてきたのは桃城で、その隣りにいた越前は「ふーん」と呟いただけだった。桃城は着替えもそこそこに、大石に元気に言う。
「おめでとうございますっ」
「ああ、ありがとう」
 にっこりと桃城に礼を返す。相変わらず爽やかな笑みを浮かべる男だ。
「よく覚えていたな、乾」
 着替え終わった手塚が、ほんの僅かだが驚きを声ににじませて話し掛けてきた。
「部員のデータなら全部ココに入っているよ」
 人差し指でトントンと己のこめかみを突付く。
 手塚なんぞはなるほど、と感心したように呟いたが、桃城だけではなく、バンダナを締めていた海堂までが嫌そうな顔をした。
「身長とかなら分かるっすけど、誕生日なんか覚えててなんかプラスになるんすか……?」
 ふと、越前が、帽子のつばで半分顔を隠したまま聞いてくる。言い終わった後、上目遣いで様子をうかがうような素振りを見せた。
 入部してまだ間もない越前だが、その生意気さと破天荒さで一年の中では郡を抜いて目立っている。そんな物怖じしない越前に遠慮が見えるのは、付き合いが短いながらも面白かった。
 わざとちょっとかがんで越前に目線を合わせる。――まるで子どもにするみたいに。
「脳味噌は使ってなんぼだって言うことだよ、ルーキー」
 俺の行動がお子様扱いだと分かった越前は、また「ふーん」と興味なさげにつぶやいた。明らかに不機嫌が混じっていたが。桃城がふてくされんなよーと越前の頭を力強く撫でた。
「痛いっす、桃先輩……」
 それでも笑ってやめない桃と越前は、先輩後輩を越えた仲のよさだ。桃が人懐っこいのは分かるが、この猫みたいな気性の越前がよく懐いたものだ。――これもデータに書き加えておかねば……。

「うわ、みんな早いなー」
 部室のドアを開けて入ってきた英二が、目を丸くした。
「遅いぞ菊丸」
「掃除当番だったってのー。な、不二」
「そうだね、僕は付き合わされただけだけど」
「うわ、裏切り者!」

「英二先輩知ってました? 大石先輩誕生日なんだって」
 桃城が明るく言う。
「あー、知らないわけないっスよねー。黄金ペアの片割れっスもんねえ」
 すると、明らかに英二がむっとした顔を見せた。それを見ていた大石がぎくりと身体を強張らせる。不二も英二の顔に視線をとめた。
 気付かない桃城は、更に続ける。
「なんかプレゼントとかあげるんでしょ」
「――あげないよ」
 低い声音に、やっと桃城が固まった。
「大石なんかにプレゼント、やらない」
「英二先輩……?」
 英二はさっさと着替えを済ませて、「先行く」と不二に声をかけて部室を出て行った。
 身体を強張らせたまま英二を見送っていた大石は、こぶしで自分の額と一度、打った。
 閉じられたドアと、そんな様子の大石を交互に見ていた桃は、気まずそうに頭を掻いた。
「……すんません、俺、なんか、踏んじゃいました……?」
 俺は気付かれないように、そっと溜め息をつく。
 ――遅いよ、桃。

 おそらく俺の予想だと、英二は大石の誕生日を一番に祝いたかったのだろう。
 しかし今日の朝練に大石はいなかった。確か委員会だったと記憶している。昼もその委員会が延びたせいで集合していたと聞く。英二と大石は、本日の初顔合わせはこの放課後の部活なのだろう。
 英二のことだ、大石に最初に「誕生日おめでとう」と言いたかったのだろう。
 現実的に考えれば、もう放課後の今になって誰にも「おめでとう」なんて言われてないわけはないのだが、そこが英二の可愛らしいところ――なのだろうきっと。

「いや、……桃は悪くないよ。ちょっとした英二の――癇癪みたいなものだよ」
 強張りから溶けた大石は、苦笑しながら桃を慰めた。
「でも――思い出した、俺、去年の英二先輩の誕生日も、英二先輩怒らせましたよね……」
 桃の語尾が消えていく。
「何言ったんすか、桃先輩」
「何言ったっけ……別に悪気はなかったんだけど……。あっ、すんません、言い訳するつもりじゃないんすよ!」
「あの時のデータによると、桃は……」
「わーわーわー! 先輩っ、わざわざそんな過去ほじくり返さなくてもいいじゃないっスか!」
 叫びながら口を塞ごうとしてきた桃をかわして、「はやく行かないと手塚に怒られるぞ」と後輩たちを部室から追い出した。
「それを本人の目の前で言うのか……」
 手塚が憮然としていたが、それはそれで置いておいて。
 肩を落としている大石に慰めの言葉をかけてみた。
「大丈夫だよ、英二のあの頭ならすぐ忘れるから」
「――それってあんまし良い意味じゃないだろ、乾……」
 本当のことだと思うけど。

 


 果たして、部活終了後の英二の機嫌はというと、まったくもって改善していなかった。部活中もわざと大石を無視して不二や桃にくっついてみたりして、何が言いたげな大石を寄せ付けなかった。
 大石も散々な誕生日になったものだ。自分のせいではないのに――真実誰のせいでもないのだけれど――英二の機嫌を損ねて人前で痴話喧嘩を披露させられて無視されまくって。
 あ。
 元はといえば、部活前に俺が「そういえば今日はオマエの誕生日だったな」なんて言い出したせいか……。原因は俺か。なるほど、反省しよう。
 英二は部活が終わってさっさと着替えて、桃と越前と一緒に飛び出していってしまった。残された大石は、のろのろといつもの倍の時間をかけて着替えている。こいつは相当消耗してるな……。
「大石」
「うん……?」
 すっかり憔悴している大石に、さりげなく手を差し出した。
「……何?」
「鍵は俺が閉めるよ」
「乾……」
 大石の面食らった表情は、なんだか可愛らしかった。
「海堂の自主練を見るからな」というのは当然建前。ニヤリと笑って一言付け加える。
「――早く追いかけてやらないと、追いつけないぞ」
 見開いた目をすんなり細めて、大石が破顔した。実に年齢相応の、嬉しそうな笑顔だ。
「恩にきるよ、乾」
 俺の手に部室の鍵を落とし、鞄を引っつかんで走り出した。
 その後姿に俺は苦笑する。まったく恋する男というのは、手に負えないくらい馬鹿になるものだ。特に相手があの英二だと、苦労も倍以上だろうな。
「先輩、何ニヤニヤしてんスか?」
 今日の練習メニューの指示を待っていた海堂が、眉間に皺を寄せて俺の顔を覗き込んだ。
「いや、大石も可愛いところがあるなーと」
「気色悪いこと、言わないでください」
「なんで。海堂だって十分可愛いよ」
 頭をぐりぐり撫でてやると、大げさに首をふってそれから逃れようとする。
「やめろっての!」
「愛情表現なのに」


 きっと今ごろは英二に追いついたであろう彼の姿を思い浮かべる。
 まるで鏡のように、似ているけれど正反対な二人を思って、俺は一人苦笑した。
「――いい誕生日を、大石」

 四月三十日、誕生日おめでとう、大石秀一郎。

 

2004/5/1

 

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