036:きょうだい
「大石ーそれちょっとちょうだいー」
「自分の飲んでるのがあるだろう」
「いいじゃん、一口」
「仕方ないなあ……」
練習後の部室、いつものように英二が大石にじゃれ付いている。
なんだかあてられている気分がしないでもないが、部員たちも慣れたもので軽く受け流せるようになっていた。
甘える英二に甘やかす大石。
それは当たり前の光景の一部だった。
「大石先輩と英二先輩って、兄弟みたいっスね」
不意に、桃城がそんなことを言い出す。
「きょうだい?」
大石のペットボトルから口を離して、英二が首を傾げた。
「おにいちゃんとおとうと、って感じっスよ」
俺はそれにちょっとした情報を付け加えた。
「そうだな、大石は長男だし英二は末っ子だし」
その情報に、英二がまるで警戒している猫のような反応をみせた。牙を剥いているがごとく。
「なんでそんなことまで覚えてんだよ、乾!」
「部員のデータはみんなとっているからな。家族関係も全部」
俺の言葉に、部室内からはブーイングが起きた。こういう反応をされるから、データ収集がやめられないというのに。
「だいたいなんだよ弟って! 俺と大石は同い年だっての!」
「いや、今は大石のほうが年上だろう。大石の誕生日は四月だ」
「だから乾っ、そういうデータを披露すんのやめ! 怖いから!」
「ふっふっふ」
わざとらしく笑ってみせると、周囲が一気に引いたのが分かった。うーん、こういう反応も楽しいものだ。
「まあでも、英二は本当に、もう一人の弟みたいだよ」
大石にとっては何気ない一言だったのだろう。いつものあの爽やかな笑顔から、それは容易に推察できる。
ただ問題は英二にとってどう聞こえたかで。
「……ふぅん……」
一気に英二の声のトーンが落ちた。
空気が張り詰める。
さっきまで楽しそうに笑っていた桃城も、英二の様子に固まった。
――ふむ、案外桃も察しがいいんだな。普段は周囲なんぞ気にせず我が道を行くタイプなのに。珍しいデータが取れた。
――それはともかく、大石が気付いた時にはもう遅く、英二は冷ややかに大石を睨みつけた。
「弟ねえ。俺が。大石の」
「いや英二、これは言葉の綾で……」
「どーせ俺はガキですよ。同い年――同じ学年なのに子どもっぽくてすいませんね!」
「英二、何もそんなこと言ってないだろう」
「言ったも同然だっつの!」
キッと大石を睨みつける。その剣幕に、大石も何も言えなくなったようだ。
英二はそんな大石を無視して着替えをすませ、そのまま部室を出て行った。
残されたのは気まずい空気をまとった部員たちと、落ち込んだ大石。
――とりあえず手塚が先生に呼ばれていて、いなくて良かった。絶対罰則モノの喧嘩だったぞ。
沈んだ大石の肩に慰めるように手を置きながら、そんなことを考えた。
昼休み、この季節は寒いだろうなと思いつつも、屋上で昼食をとろうとして、俺は階段をあがっていた。練習メニューを考えるのに、どうしても昼休みの教室はうるさすぎた。部員とレギュラーのメニューと、個人的な海堂の練習メニューと。考えることが多いときは、一人の方がいいのだ。
風さえ除けられればマシだろう。そう考えながら屋上に入ろうとして、俺は足を止めた。聞きなれた声が届いてきたからだ。
「――だからさ」
英二の声。いつものふざけた様子は微塵も感じられない。
十一月ともなれば十分寒い。英二は首を竦めながら、大石を見上げていた。大石は明らかに戸惑った様子で英二を見つめている。
「早く誕生日がくればいいって思ってた。大石と同い年になれれば、ちょっとは変わるかと思ってたんだ」
その言葉に、今日が英二の誕生日だったことを思い出す。
あの諍い以後、英二はずっと機嫌が悪くて大石もそんな英二に口出しできなくて。
だから部内では、なんとなくあの二人に触れるのはタブーのようになっていた。おかげですっかり忘れていたのだ。
――もしかしなくても、こいつは出刃亀というやつだろうか。
聞いてはいけない、見てはいけないと言われるものほど好奇心を駆り立てる。データマニアを自負する俺は、ついその欲求を満たすために立ち止まってしまった。我ながら馬鹿で失礼なことをするなあ、と自己嫌悪に陥りながら。
「あれは――別にそういう意味で言ったんじゃなくて」
「うん……なんとなく分かってる。でも大石が俺のこと弟っぽいって思うのもホントだろ?」
大石は困った顔をするだけで、否定しなかった。――出来なかった、のだろう。英二の言葉は、きっと的確に二人の関係を表している。
「俺がガキだから、大石はそういうふうに俺を扱うしかないってのも分かる。だって、大石――」
口元が泣きそうに歪んだ。
「俺に手ェ出してこないじゃん」
――失礼ながら、とても驚くべき事実だ。
あれだけ始終ベタベタしていて、まだ何もしていないとは。
しかし大石の性格を考えると、それも当然のことかもしれない。堅物の大石が、中学生という年齢にこだわって、恋人に手を出さないだろうことなど簡単に分かり得る。
「それは……っ」
英二の様子に慌てた大石は、思わずといったように英二の頭に手を伸ばし、宙で逡巡して、その手を下ろした。
――駄目だな大石、なんでそこで手を戻すんだ。
届かないと分かっていても、つい心の中で呟いてしまう。ここで英二の頭を優しく撫でてやればいいのに。一度上げた手を下ろすってのは、英二が傷つくだけだろうが。
もし俺が大石で英二が海堂だったら、頭を撫でてやるくらいじゃすまさないのに――というのは関係ないな……。
「そうやって、自分からじゃ俺に触ってこないしさ……」
英二の言葉に、大石が下ろした手をぎゅっと握り締める。
しばらく沈黙が続いた。英二は泣きそうなまま動かないし、大石も何か迷っている様子で固まっている。
俺が勝手に覗いているくせに、そんな二人がもどかしいと焦れてきた頃、
「あのな、英二……」
大石が一大決心でもしたように言い出した。
「別に、おまえが子どもだから手を出さないとか、そんなんじゃなくてな――」
「……じゃあなんだよ」
英二に上目遣いで睨まれて、大石は情けない顔をした。清水の舞台から飛び降りるヤツですら、こんな悲壮な顔はしないだろうと思われるくらいに、情けない顔だった。
ぎゅっと目を瞑って……彼が飛び降りる。
「触らないのは――怖いからで……俺だってまだ全然子どもだし――歯止め、きかなくなったらやばいし……でも……っ」
「でも……俺が英二を大切に思うのは本当だから……!」
勢い込んで言った大石に、菊丸は大きく目を見開いた。
「大切――だから……」
繰り返す。
そして二度目の沈黙が降りた。
「あはっ……」
沈黙を破ったのは、今度は英二で、しかも笑い声だった。
「もー大石、そんな恥かしいことでっかい声で言うなよー」
けたけたと腹を抱えながら英二が笑うと、大石は顔を真赤にしながら言い訳めいたことを口にする。
「え、英二が言わせたんだろうが……っ」
「俺は言えなんて言ってないよ」
「俺には言えって言ってるように聞こえたんだよ!」
「あはは、もー馬鹿だなあ、大石ー」
「英二っ!」
しつこく笑いつづけていた英二が、不意に大石を見上げた。
「でも、ありがと……」
その笑顔に、大石が息を飲んだのがこちらにまで伝わって、何故か俺までドキドキしてしまった。
ゆっくりと英二が、言葉を紡ぐ。
「今の言ったことが、一番嬉しい誕生日プレゼント、だよ」
「……英二」
「人生で一番嬉しいプレゼントだ」
英二が大石に身を寄せて、ほんの少し顔を仰向かせて目を閉じた。大石も英二の背中に手を回して――。
というところで、俺はくるりと身を翻した。
これ以上の出刃亀はさすがにやばいということで。
なんのデータでも集めたがる俺にも、触れてはいけない一線があるのだ。
しかしこいつらは、結局のところ仲がいい。あてられた気分というか、胸焼けがしそうだ。末永くお幸せにな、と皮肉でも言いたくなる。
――まあとりあえず、
「おめでとう、英二」
誰にも聞かれないような小さな声で呟いて、俺は屋上からの階段を降りていった。
仕方ない、メニューは教室で作成しよう。
十一月二十八日。誕生日おめでとう、菊丸英二。
2003/11/28
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