世界の果てやこの世の果て 3
……037:スカート

 

「僕はもう冴貴子のことは好きじゃないよ」
 告白されてその答えとしては、なんて残酷なんだろうか。
 わざと興味がなさそうして、海老をつまんだ。ついでに日本酒も一口飲む。
「そうでしょうね。今恋人いるんですものね」
 冴貴子はそれでも笑っていた。
「どんな人?」
 空になったグラスを置いた。注ごうとする冴貴子を手で断る。
「……それは言わなくちゃいけないの?」
「単なる興味にそこまで突っかかることもないでしょ」
 彼女が持っているグラスの中の氷が、音を立てて揺れた。暗い照明が反射してチラチラする。――この暗さは嫌だな。
 ここが何処で、今はいつなのか、認識できなくなりそうだ。
 冴貴子はずっと僕の顔を見つめている。言うまで解放しないつもりだろうか……。
 仕方なく溜め息混じりに答えた。
「――昔から、ずっと想っていた人だよ」
 嘘をついても仕様がない。正直に言う。
「長い時間をかけてやっと手に入れたんだ」
「………………」
 彼女はスカートの脚を大げさに組替えた。白く細い太腿が露わになる。
 ふわりとした軽そうな素材のスカート。冴貴子はスカートしか履かない。いつも、実に女らしい格好をしている。
 ピンクのマニキュア、綺麗な色の口紅、アイシャドウ。背中まである艶やかな髪。派手にならない程度の落ち着きがある。
 そんな上品な風貌の女性から、低い声が発せられた。
「それって、私は諦めなきゃならないのかしら?」
「何を?」
「貴方を」
 僕は、ひどく嫌な気持ちになった。
「それは君の自由だろう」
 ……冴貴子が嫌なのではなく、僕自身だ。
 僕が御剣に決死の告白をしたとき、彼が拒絶して僕が追いすがったとして。そうしたら僕はきっと冴貴子と同じとことを言っていただろう。
 ――僕は君を諦めなきゃいけない?
 その浅ましさが、とてつもなく嫌に思えた。
 それを口にする冴貴子に罪はない。
 罪はないけれど。
「でも迷惑だ」
 言ってしまう自分がとても汚い。
 冴貴子は面食らうこともなく、淡々と言った。
「そうやって拒絶するの、初めてよね」
「……そう?」
「貴方が私に一番感情をぶつけたのは、最後だけだったもの」
「…………」
 言われればそうかも知れないけれど、そんな過去はもう、興味がなかった。その興味のないことが、今、僕と彼女を繋いでいる。
 なんなんだろう、この関係は。
 昔付き合っていた恋人。今は別れてしまった他人。もしくは知り合い。
 ――この目の前にいる女性が、僕の中で酷く異質であり、また同類なモノに思えた。
「ねえ、また一緒に飲まない?」
「……断っておくよ」
 力なく言った僕に、冴貴子は笑った。それが嘲笑に見えたのはきっと気のせいだけれど。
 財布からお金を出そうとしたのをきっぱり断った。
 仕方ないわね、と言って立ち上がった。
 ひらひら翻る後姿の冴貴子のスカート。
 冴貴子と別れて一年以上も経つが、一度たりとも彼女のことで後悔したことはなかった。
 でも、僕は初めて後悔をしていた。
 もっと優しい言葉を言えない残酷な自分に後悔していた。
 アレは別の形の僕。
 僕のもしかしたら辿っていたかもしれない道を歩んだ僕。
 目の奥がつんと痛くなって視界が潤むのを、僕は泣いているとは認識しなかった。
 僕が泣くのは、彼のためだけだから。
 そう、思っている。
 今も。
 御剣に会いたかった。
 彼に受け入れられた、現在の僕に、会いたかった。

 

2003/9/13

 

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