世界の果てやこの世の果て 2
……069:片足

 

 片足が裸足のシンデレラは、僕の恋人だったけれど。
 それは飽くまでも「だった」ことだ。
 シンデレラが残したハイヒールは、王子様は拾わなかった。
 王子様は偽者だったから。
 僕なんかより良い、もっと別の王子様が拾うんだと。
 そう思っていたんだ。
 甘利冴貴子。
 銀行の窓口嬢で。聡明で美人で。
 僕の、元恋人。


 先日、御剣とあんな話をしたものだから、つい彼女と出会った飲み屋に足が向かったのは他意のないことだった。
 そういえばずっと行ってなかったなと思い出したから。
 落ち着いた感じの、一人で入っても違和感のない飲み屋――バーと言うほどのものではないので――は、結構気に入っていたが、やはり忙しいのでしばらく訪れてなかった。
 ちょっと手の空いた金曜の夜、飲まないかと誘った御剣は次の日の裁判で忙しいと断られたから。
 ぼんやりと海老の揚げ物をつまみつつ日本酒なんかを渋く飲んでいたとき、ポンと思いがけず肩を叩かれて振り返って、椅子から落ちそうになった。
「久しぶり」
 口紅の綺麗に引かれた唇が、笑みを形どった。
「冴貴子……さん」
「何、さんだなんて」
 笑い声まで、変わっていなかった。
「他人行儀ね、いいわよ呼び捨てで」
「……他人だろ」
 酷いことを言ったのに、冴貴子は動じなかった。
「座っていいかしら? 一緒に飲みましょうよ。貴方、一人みたいだしね、龍一」
 僕が承諾する前に、冴貴子は僕の隣に(壁を向いた横一列の席に座っていたので、向かいがない)座ってしまった。
 ウェイターに飲み物を頼み、僕の頼んだメニューを見て、
「相変わらず渋いのね」
 とからかうように言う。
「君も、相変わらず……」
 相変わらずなんなのか、言葉に出てこなかった。
 明るさとか強引さとか、確かに冴貴子は変わっていなかった。
 もう一年以上も会ってなかったのに。
 僕の言葉の裏を読んだのか、冴貴子は皮肉っぽく囁いた。
「久しぶりねって、吹っ切って笑って欲しかった?」
「そうでもないよ。忘れてくれてた方が良かった」
 正直に答える。
 何が楽しいのか、冴貴子はまた笑った。
「酷いこというのね。変わらないな。反省とかしないんでしょ」
 つられて、僕も笑った。
 話す内容は実に殺伐としているのに。
「はは。反省と後悔だらけの日々だってのに」
「そうよね、弁護士さんだものね。……分かった。改善しないんでしょ」
 否定せずに、頬杖をついて笑った。
 相変わらず冴貴子は綺麗で、僕と付き合ってたときよりずっと華やかに見えた。
 心惹かれることはないけど、そう思った。
 というより、今まで――過去付き合っていたことを含めて、僕は冴貴子に惹かれていたことがあったんだろうか。
 ウェイターが冴貴子の注文した飲み物を持ってきた。彼女は変わらす笑みながらそれに口をつける。
 飲み屋で出会って、酔っ払った僕を解放した冴貴子。
 その夜、そのままホテルへ行った。一緒に寝た。
 そこから始まった、流されただけの付き合いは、三ヶ月も持たなかった。
 時々会って、寝て、だんだん僕は忙しさにかまけて連絡を取らなくなった。痺れを切らした冴貴子が僕の事務所に初めてやってきた時が、僕たちの終わりだった。
「ね、今は恋人はいるの?」
「いるよ」
「まあ……気の毒に」
「どっちが?」
 くすくす笑って冴貴子は誤魔化した。
 今日は冴貴子は笑いっぱなしだ。こんなに楽しそうにしているやつだっけ……。
 離れている間に変わったのかどうなのか。
 不意に彼女の表情が消える。
 僕は内心、ぎくりとした。
「私はいないわよ。今でも貴方のこと好きだもの」
「……へえ」
 冴貴子が落とした爆弾は、僕の心を何も動かさなかった――ようにその時は思えた。
 思えたから、僕は冴貴子を突き放した。
 冷たく。
「僕はもう冴貴子のことは好きじゃないよ」

 

2003/9/13

 

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