021:はさみ

 

「あ、いて」
 左手の中指がチリ、と痺れた。
「あー……切っちゃった……」
 料理用のはさみで葱を切っていたのだが、調子に乗ってザクザクやっていたらこの有様だ。味噌汁にいれるのに不精して包丁を使わなかったせいで。
 中指の第一間接と第二間接の間の肉がぱっくり割れて血が染み出していた。痺れから、じくじくした痛みに変化していく。
 傷口を水道で洗い流す。
「っあー……いててて」
 沁みる。小さい傷のはずなのにすごく沁みる。切り傷擦り傷は沁みるものだと分かっていたが、そういえば怪我をすること自体久しぶりだ。運動もしないし、無茶をすることもないからなあ。
「さすがに狩魔検事のムチには痛い思いをさせられたけど……」
 そもそも法廷にムチを持ち込んでいいのかという疑問もあるが。
 傷は洗ったが、そのままだとぱっくり割れたままでよろしくない。
「バンソコあったっけ……」
 頼りない記憶を掘り起こして箪笥の中にあったのを思い出した。
 指に絆創膏を巻くのなんて久しぶりだ。


「いた……」
 御剣の背中に腕をまわしたとき、彼がうめいた。
「あ、ゴメン」
 指に巻いた絆創膏が背中を滑ったときにひっかかったらしい。素肌の。
「どうしたんだその指は」
 気だるそうに僕の腕の中から抜け出し、僕の指を取る。
「はさみで切っちゃってさ。ザクッと」
 僕の表現に、御剣の眉間に皺が寄る。
「はさみで怪我するなど、小学生かキサマ」
「小学生でもやんないでしょ、こんなこと」
「自覚済みか、タチの悪い……」
「あはは」
 再び御剣を腕の中におさめるのは諦めて、僕もベッドに仰向けに寝転がった。
 コトの後、御剣はあまりベタベタさせてくれない。男の本能として、出すもの出したらつれなくなるというけど、僕はそんなことないものだからちょっと寂しかったりする。
 だからせめて、乱れた彼の髪を梳く。絆創膏の貼っていない右の手で。
「……ちゃんと消毒したのか?」
「水で洗ったけど」
「モノグサめ……」
 グーにした手で肩を叩かれた。
「えーじゃあ舐めてよ」
「舐めて消毒になるかバカモノ。汚い」
「ひどいな、さっきはいっぱい色んなとこ舐めてあげたのに」
「そっ……れは……」
 口元がひくりと引きつり、言いたくないでも言い返さないとマズイって思うのが手にとるように分かる顔をする。
「キサマがっ、そういうことが好きだからだろう……っ、がっ……」
 そんな真っ赤になって言うことかなあ。しかも言葉にまで詰まっちゃって。
 この年になってこんだけ可愛らしいってのは犯罪だよなあ。
「何をニヤニヤしている……」
「いてっ、いちいち殴るなよ」
「殴らねばキサマは理解せんだろうが!」
「身体に調教するってことかぁ?」
 うわ、今度はスネを蹴ってきた。
 仕方ない。
「うわっ……成歩堂! やめろ!」
 御剣に覆い被さってその動きを封じた。するとじたばたと無駄な抵抗をはじめる。
「もー何もしないからそのまま……」
 耳に囁くように言うと、だんだん暴動がおさまって、ようやく大人しく僕の腕にしがみついてきた。
「馬鹿モノ……」
「うん……」
 頭を撫でようとしたが、また絆創膏が引っかかるといけないと思い立ってペリペリ剥がした。皮膚が引っ張られて少し痛い。
「成歩堂……」
「うん?」
 腕の中から、僕の指を覗き込んでいた。
「痛いか?」
「いや、ほら、もう……」
 ひらりと左手を翻す。
「治りかけてる」
 結構深く切ったはずなのに、すでに傷口はくっついていて、赤い生々しい線を描いているだけだ。傷口を見た彼は一瞬、痛そうだな、という表情を見せ、
「馬鹿は回復も速いのだな」
 皮肉気に笑ってみせた。
 こんなふうに、ほんの時々垣間見せる素直な顔が凄く好きだ。
 口ではどんなふうに言っていても、実は心配してくれる彼が大好きだ。
 案外簡単に幸せを感じられる僕も、感じさせてくれる彼も、みんなみんな。
「舐めてくれたらもっと早く治るんだけどな」
「一生治らんでもいい!」
 大好き。

 

2003/9/1

 

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