004:マルボロ

 

 成歩堂龍一は、煙草は吸う。でも煙草の匂いは嫌いという性癖を持っている。
 新幹線に乗るときも禁煙席をとるし、公共の場での喫煙場所には近づきもしない。
 自分が吸うときは、絶対に室内から出て行く。窓を開けて、顔を出して吸う。
 匂いや煙が室内に残るのが凄く嫌いだ。
「だったら煙草なんぞやめればいいだろうが」
 まったく喫煙をしない御剣が眉間に皺を寄せて言う。
「う――ん……」
 それはごもっともなのだが。
「匂いは嫌いだけど、吸うのは嫌いじゃないんだよ」
 メンソールだしね、と緑のパッケージをひらひらと振る。
「矛盾した男だな。異議をとなえるぞ」
「……審理中じゃないんだから勘弁してくれ」
 短くなった煙草を、灰皿に押し付ける。それでもすでにそこには2本、吸殻がある。
 事務所で吸うことは滅多にしないが、今は別だ。なんとなく気分が塞いで、なんとなくもやもやしている。そんな時、無性に口寂しくなる。そして煙草に手が伸びるのだ。
「そもそも煙草なんぞ美味いものか」
 御剣はソファに座り、目を眇めて成歩堂を睨む。
「不味いよ、そりゃ」
「じゃあ何故」
 なにやら問い詰められる形になってしまった。
「不味いから吸うのかもしれない」
 そう言うと、御剣は不可解な顔をした。
「貴様、被虐趣味でもあるのか?」
「うわ、何それ!」
 まさか天才検事さんからそんな言葉が出てくるとは思わず、手にもっていた灰皿を落とすところだった。
「だから、マゾヒストなのかと――」
「いや意味は分かるんだけどさ……」
 額を押さえてしまう。
「御剣からそんな台詞聞きたくなかった……」
 明らかにむっとして言い返してくる。
「何を言う。私は必要とあればどんな言葉だって言うぞ。そういう差別はやめてもらおうか」
「差別じゃないんだけどさあ」
 こんなお坊ちゃん然とした人間が、まさか「被虐趣味」だの「マゾヒスト」だのある意味卑猥な単語を平然と口にするとは。
 あれだよな、きっと自分の口から出る言葉が、他人にどんな風に聞こえるか分からないからそうやって言えるんだ。
「何をブツブツと言っている。言いたいことがあるならハッキリ言ってもらおうか」
 あくどい事もやってるし、人間の汚い部分だって十分見てきたはずの成人男子なのに、どうして時々まっすぐなんだろうか。
 育ちが良いせい――なのもあるだろうが、それだけじゃない気もする。
「御剣がそういうこと言うと、卑猥な気がするから」
「――は?」
 成歩堂が言った内容をしばし考え――やっと把握したのか、ソファから勢いよく立ち上がった。顔が真っ赤だ。
「貴様っ、成歩堂龍一!」
 指まで付きつけられる。
「どこからそんな発想が出てくるのだ! 突拍子も無いことを抜かすのは法廷内だけにしてもらおうかっ」
「――裁判中ならいいってこと?」
「いいわけなかろうっ」
「だって今……」
「黙れっ成歩堂!」
 とうとう怒られてしまった。やっぱ言うもんじゃないな、こういうことは。
「ほらまあ落ち着いて。吸う?」
「いらんっ。そんな身体に悪いものなぞ! 貴様もやめろっ」
「それって、心配してくれるの?」
 ますます、顔が赤くなる。
「そんなわけあるかっ!」
 わめく御剣が可笑しくて、声を上げて笑ってしまった。
 言い方が悪くとも、自分の身体を心配してくれている。そう思っておこう。どうせ素直じゃない検事さんは、どうしたって「心配だ」なんて口にしてくれないのだから、思うだけなら勝手だろう。
 ――今度から煙草は、せめてメンソールライトにしよう。
 煙草を吸う前のもやもやした気分を忘れて、機嫌よく成歩堂はそう考えた。

 

2003/8/22

 

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