044:バレンタイン
街はきらびやかな様相を示している――らしい。買い物に出ていた。真宵ちゃんがそんな報告をしてきた。
なんでだろうとしばらく考えて、ようやく思い至った。
「……ああ、バレンタイン」
「そうそう」
僕にとってカレンダーは仕事の予定を確認するためのものである現状では、世間のイベントはあまり関係ない。寂しいが、実際祝日すらも気付いたら過ぎていたという有様だった。
バレンタイン――そういえば今は二月だったなあ。
「早く春にならないかな」
「なんでよー」
「寒いから」
「いつも事務所に篭もってるだけなのにゼータクだよ!」
そうは言っても、通勤とか部屋が暖まるまでが寒いんだよ……と言おうと思ったが、どうせ年寄り扱いされるだけだからやめておいた。
真宵ちゃんは何を思ったか、にっこり笑って僕が座っているデスクに身を乗り出してきた。
「なるほどくんはチョコ欲しい?」
「甘いもの苦手なんだよなあ……」
僕の色好くない返事に、一転、眉間に皺を寄せた。
「えーこの間大福おやつだったよー」
「餡子は平気なんだけど」
「……年寄りくさい……」
わざわざ回避しようとした台詞を言われてしまった。ちょっとへこむ。
「もーダメだなあ!」
興が冷めたようで、上半身を起こしてあからさまに溜め息をつかれる。
「折角なんかあげようと思ったのになあー」
なんかあげるって……あ。
「あー……」
考え無しなことを言ってしまったようだ。
真宵ちゃんは、バレンタインのプレゼントをくれると言っていたのだ、と鈍い僕はやっと分かった。
そういうふうに考えると欲しい。欲しいのだけれど、いまさら前言撤回はできない。
現に真宵ちゃんはもうソファに座ってテレビなんか見て、「あげようかな」発言なんかもう忘れかけている。
こうして僕は、折角のチャンスをふいにしてしまったのだ。
資料整理をしていたら、次の日になってしまった。遅くなると危ないので真宵ちゃんは早めに帰したら、どんどん集中して時間がたつのを忘れてしまっていたのだ。この集中力に、やればできると自分を誉めたらいいのか、視野狭窄だと反省すればいいのか。
さてちょうど夜中の十二時過ぎ。晩御飯は適当に済ませたけれど、お腹が程よく空いてきた。こんな時間にやっている店といえばファミレスかコンビニくらいなものだ。しばらく考えて、コンビニに寄ることにした。ひとりでファミレスに入ることを厭うわけではないが、時間がかかるのが面倒だ。
「いらっしゃいませー」
自動ドアをくぐると、店員の平坦な声が聞こえてきた。出入り口のすぐ横の棚に、売れ残ったらしいバレンタイン商品が並んでいるのが目に入った。半額ほどに値引きがされている。
イベントが終わった後の関連商品を見ていると、なんだか異様に切なくなる。
クリスマスとかさっき終わったバレンタインなんかがその代表だ。
――こんな売れ残りでもいいから欲しかったな……。
昼間の真宵ちゃんの言葉を思い出してしまった。甘いものが苦手だなんていわなければよかった。確かにチョコレートなどはそんなたくさん食べられないが、貰えるなら頑張って食べるというのに。
弁当類が並ぶ棚を眺めながら、世間で言う「バレンタインにチョコが貰えない寂しいオトコ」をひしひしと実感してしまった。
聞いた話、外国ではバレンタインは男女にかかわらず恋人にプレゼントを贈る日なのだそうだ。ということは僕が贈っても構わないという話なんだよな、と一人頷いて、はたと気付いた。
いやだがしかし、ここで僕が売れ残りのチョコなんか買ってみろ。店員に不審な顔されて、真宵ちゃんにはおそらく呆れられるだろう。なによりも、なけなしのプライドが許さない。……本当になけなしだけど。
そんなことをぐるぐる考えながら、僕は十分ほど立ち尽くしていた気がする。
「……そんな悩むことでもないか」
気軽に考えられないのが僕の悪い癖だ。
菓子の棚で、適当な箱をひとつ取って弁当と一緒にレジに出した。
たいした意味はない、たいした意味はないんだと自分に言い聞かせながら、恥ずかしい思いを押さえきれずに赤面しながら小走りで帰った。
次の日、事務所に行くと真宵ちゃんがすでに出勤していた。テーブルの上を布巾で拭いている手をとめて、挨拶してくる。
「おはよーなるほどくん、今日は早いね」
「おはよう。今日はってなんだよ」
「深いイミはないよーもー僻みっぽいよ!」
朝から元気な子だなあ。
自分のデスクに鞄を置いて、昨日買ってきたものを取り出す。そしてテーブル拭きを再開しようとする彼女を呼び止めた。
「真宵ちゃん」
「ん?」
振り向いた瞬間を狙って、ポンと無造作に箱を放り投げた。
「うわっ!」
危なっかしげに受け取った真宵ちゃんが、不審そうだった顔を輝かせた。
「わーお菓子! あたしこの種類好きー」
「あげるよ」
「いいの? なんで急に」
「……新商品だし」
「でも、昨日チョコ苦手って……」
「心境の変化……かな」
僕の曖昧な言葉に首を傾げたが、まいいか、とにっこり笑った。
「じゃあ今日のお茶菓子はこれだね!」
……本当は真宵ちゃんだけに食べて貰うつもりだったんだけど。
「うん」
僕が頷くと、じゃあお茶の準備してくるね、と軽い足取りで給湯室へ去っていった。
やっぱ、あんまし気にしてなかったか。真宵ちゃんのそのサバサバした性格にはありがたいやら苦笑してしまうやら。
一日遅れのバレンタイン――もどきだけれども、分かってくれてなくても、単純に喜んで貰えるのが嬉しい。
バレンタインにチョコレートをプレゼントするというのは、そういうささやかな嬉しさを味わうためなのかもしれない。
少なくとも僕には、それで十分だ。
でももう、あんな自分だけ微妙に恥ずかしい真似はやめよう、と心に誓った
2004/2/14
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