この日から一ヶ月後のあなたへ

 

 誕生日だからって何か特別なことがあるわけじゃない。
 家に帰ったら、いつもよりちょっと豪華な食事が待っているだけだ。いつも「いってらっしゃい、気をつけてね」だけで送り出す母さんが「今日は早く帰ってきてね」と笑顔でオレを見送った、それくらいだ。
 それくらいだけど、楽しそうな母さんや葉末を見ていると、期待通りに早めに帰宅しようという気持ちにもなる。

 放課後の練習が終わって、部員がぱらぱらと帰っていく中、オレは乾先輩の姿を探した。いつも遅くまで残って自主練に付き合ってもらっているので、今日は練習できないと伝えるためだ。
 コートにいないとなれば簡単、部室にいるだろう。小走りで向かう。

 案の定、先輩は部室にいた。数人の部員でざわつく中、オレはロッカーに向かっているその背中に声をかけた。
「先輩」
 何かをノートに書きとめていた先輩は、オレの呼びかけに「うーん?」と間延びした返事をした。こういうときの先輩はいつも上の空なので、あまり気にはならない。

「すんません、今日の練習なんですけど」
「あー」
 オレが切り出すと、ノートから顔を上げて振り返った。ペンを器用に指でくるくる回している。

「知ってる。今日は早く帰らなきゃいけないんだろう?」
「……そうですけど」

 面食らったオレは、それが顔に出ていたかもしれない。この人は基本的に、オレの感情をあまり意に介さない。オレがどんなに怒っていてもさらっと受け流す。
 しかし今みたいにオレが何かしらの答えが欲しい時には、素早く察知して説明をくれるのだ。

「なんで分かったのって顔をしているな。誕生日となればお祝いをちゃんとしそうな家族だろう。早く帰ってこいって言われたんだろ」
 確かにその通りだ。その通りだが……。たった数度顔を合わせただけのオレの家族のことが、なんで分かるのだろう。
 なんだか複雑な気持ちになった。見抜かれている……のだろうな、これは。

「……分かります、か」
「まあね。なんていうか、あったかさがあるっていうか。家族行事を大事にしそうな印象があるな」
「…………」
「祝ってもらえるのはいいことだよ。早く帰りなさい。家族と一緒にいられるってのは案外大事なんだ」
「はあ……」

 そういえば先輩の両親は共働きだと聞いた。帰るのも遅く、数日間家を空けることもざらにあるらしい。
「先輩の……」
「うん?」
「誕生日は」

 ご両親に祝ってもらうんですか、とは聞けなかった。オレはなんと言っていいのか分からなくなって、そのまま黙り込んでしまった。

 先輩がオレの頭にぽんと手を置いた。
「来月なんだけど」
「…………」
「その時に『おめでとう』って言ってくれればいいな。それだけで嬉しいから」
「……っスか」

 オレはしっかり頷いた。
 嬉しいから。
 そう思ってくれるのならば、来月の先輩の誕生日をしっかり覚えておこう。

 先輩は、今更みたいに笑った。
「そうそう、誕生日おめでとう。これから約一ヶ月同い年だね」

 

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