反則がいっぱい

 

 部活が終了し、みんなが部室で帰り支度をしている時だ。
 乾が海堂にベンチに座るように指示した。
「……なんスか」
「いいから、ほら、座る」
 渋々従った海堂の足を持ち上げて、足首をまわしてみる。
 ある方向に回したとき、海堂がうめいた。
「うあ……あっ」
「ココ?」
 あまりの痛さに、海堂が背を丸めて目元を手で覆う。その様子に、乾が眉をひそめた。
「センパイ、そこ、すげ痛ぇ……」
「やっぱり、足首に疲労が溜まってるよ。変な捻り方したでしょ。ココは?」
「あっ――う……っ」
「相当キテるなあ。ランニングした後、ちゃんと解しておけって言っただろ」
 乾の言うことに従わなかったのは自分なので、むすっとしつつも頷く。
「……っス」
 尚も言い募ろうとする乾の後ろから、
「海堂は走りすぎだな」
 様子を見ていた手塚が海堂の足を覗き込んだ。
「部長……」
「手塚が言うなよ。グラウンド三十周とか言うくせに」
「別問題だ」
 鋭く睨まれて、乾は肩を竦める。

「それにしても海堂さ」
 不二までがひょこっと顔を出した。
「エロい声出すね」
「えっ……え!?」
 不二の爽やかさにそぐわない単語に、海堂は言葉に詰まった。
「そういうことは思っても口にすべきじゃないな、不二」
 乾がゆっくり不二を仰ぎ見る。しゃがんでいた乾に下からねめつけられても、不二の笑顔は少しも揺るがなかった。
「へー。狙ってなかったとでも言うの?」
「はっはっは。そんな人前で、勿体無い」
 明らかに自分が話にのぼっているのに、どういう意味か分からない。
 しかし、問い掛けるにはこの二人の会話はとても恐ろしく、乾に足を捕まれたまま、海堂は硬直していた。
 そして不二は笑みながら乾の肩に手を置いた。
「いい加減足離してあげたら? そのまま舐めそうでキモイよ、乾」
 痛々しい沈黙。海堂は硬直というより凍りつき、手塚は不審そうに不二を見やる。
 さっきまで面白そうに見物していた部員たちは、不穏な空気にこそこそと部室を去っていき、レギュラー陣しか残っていない。
 副部長の大石は仲介に入ろうとしてタイミングを掴めずオロオロしている。菊丸はそんな様子をわくわくしながら見ていた。河村は入り込めずに、ひたすら困った顔をしているだけだ。
 ちなみに、越前と桃城は罰則でグラウンドを走っている最中で、幸か不幸かこの場にいなかった。
「……舐めるのか、乾」
 不二は答えをくれないとぼんやりと悟った手塚は、乾に矛先を向けた。乾は眼鏡を暗く光らせながら、ぼそっと言った。
「するわけないだろう……今は」
「今は!?」
 黄金ペアが見事なハモリを見せた。
「何言ってんの、今じゃなきゃすんの!? 乾キモイ!」
「なん……っ、なんてこと言うんだ乾! そういうことは人前で――いや人前じゃなくても言うな!」
「もしくはデータとってそうだよね。ふくらはぎの弾力とか足首周りとか」
「それもキモイ! やめなよ乾、犯罪だよっ」
「ふっ、不二も滅多なことを言うなっ」
「だって乾ってマニアックな情報集めてるでしょ。ありうると思うんだけど」
 不二の妙な説得力を持った言葉に、大石と菊丸が更に騒ぎ出す。
 もう、収拾がつかない。
「海堂の足から手を離せ! 可哀想じゃないかあ!」
「違うよな乾っ。そんなデータ集めてないよな!」
「――そんなデータ、集めてどうするんだ」
 やはりズレたことを問う手塚。
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ黄金ペアに、乾が溜息をついて言い放った。
「だったらどうなんだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「……へえ、本当なんだ」
「うわ! みーとーめーたー! うわーうわー」
「乾、そのノートを破棄しろ! いますぐ!」
 もっと収拾がつかなくなりそうな騒ぎに、乾が両手をホールドアップのように広げてひらひら振る。話を聞いてくれというアピールだ。
「おまえら、落ち着け。よく考えてくれ。俺は海堂の練習メニュー作ってるんだよ。だから海堂の身体のデータをとっていてもおかしくないだろう。むしろ必要なことだと言ってもいい。成長期だし、オーバーワークになっても大変だしな。メニューを組むには様々なデータが必要で、だが俺は必要以外のデータ収集はしない。分かるだろう?」
 長々と語って、にっこりと笑った。
 完璧な笑顔だ。
 ――上手く誤魔化したな。
 と感じ取ったのは不二と菊丸くらいで、善良な大石は胸を撫で下ろした。
「そうだよな、必要あってだよな」
「あたりまえだろう、大石。不必要なデータは取らないよ」
「悪かったな、乾、余計な勘繰りだったよ」
 大石の爽やかな安堵の笑顔に、乾も笑い返す。――こうして乾は、青学テニス部レギュラーの良心を見事に丸め込んだ。
「おーいし……」
「ん? なんだ、英二」
 安心した大石は、完全にいつもの落ち着きを取り戻していた。満面の笑みで菊丸に向かい合う。
 堪らなくなった菊丸は、そんな彼の肩にそっと手を置いて、「俺はそんな大石が好きだよ……」と心の中で呟いた。
「どうしたんだよ英二、変なヤツだなあ」
「いいんだ……大石がいいならそれで……」
 菊丸が感動とも諦めともつかない涙を流しかけた時、部室のドアが開いて、罰走をしていた越前と桃城がぼやきながら入ってきた。
「あー疲れた」
「二十週はきついっスよーって、……何してんスか? みんなで妙な顔して」
「いや、なんでもないよ」
 大石が真っ先に答える。なんの疑いの欠片もない口調で。まさに、「なんでもなかった」かのように……。
「そうだな、なんでもないよ」
 しれっという乾に、菊丸が「おまえが言うなよ」と小声で突っ込みをいれたのは、かろうじて越前と桃城の耳には届かなかった。
 そうしてうやむやのうちに解散になった。
 始終固まっていた海堂は、乾に引きずられるように帰っていった。


 余談。
 帰り道、手塚は未だに考え込んでいた。
「河村、乾は海堂の足を舐めようとしていたのか?」
「――……手塚、もう忘れようよ……」
「明日、乾に直接聞いてみたら?」
「ふ、不二……っ」

 

2003/11/30

 

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