032:鍵穴

 

 穴があったら覗いてみたい、なんて思うのは人間の心理であって。
 同様に、閉じられたものを暴いてみたいとも思うのも当然の心理だ。
 ましてそれが秘密めいたものであったらなおさらだ。
 俺がデータを集めるのは、その好奇心から来ているものだと自分では思っている。
 知らないことを知るのは好きだ。分からないことを理解しようとするのも好きだ。
 そして。
 隠されているものを暴くのも好きなのだ。
 難しければ難しいほど、興味を駆り立てられる。
 俺の手持ちのカードでどれだけ勝負できるか、試すのが好きなのだ。

 


「隠しごとばかりだな」
 靴紐を結びなおしていた不二の後頭部に向かって言葉を落とした。
「乾……何が?」
 顔を上げた不二の眉が、ぴくりと不機嫌そうに歪んだ。
 俺を見上げる目は濡れている。別に泣いていたわけではない。暦上では春であるこの陽気にに耐え切れずに、水を頭から引っかぶったせいだ。先ほど英二と二人仲良く水飲み場へ消えていったのを、俺は目撃している。
 いくら暑かったからと言って二月に水をかぶるのはどうかと思ったが、まあ風邪をひくようなそんな柔な二人ではないだろう。
 長めの髪の毛の先から、ぽたぽたと水滴がしたたってシャツの襟や肩に染みを作っているのを、俺はつい凝視してしまった。

 立ち上がった不二は、五月蝿そうに俺を睨みつけた。
「変な目で見ないでくれるかな。鬱陶しいんだけど」
「……変な目とは失礼だな。寒そうだと思っただけだ」
 半分嘘で半分本当のことだ。
「すぐ渇くよ……。そんなしっかり濡れたわけじゃないし」
 タオル取りに行くから、と踵を返した不二の腕を掴んだ。細い腕だ。それなりに筋肉はついているものの、細身なだけあってあまり頼りがいがありそうだとは思えない。

 いささか乱暴に、不二が腕を振り払った。それほど強く掴んでいたわけではないので、俺の手はすぐにはずれる。
「痛い」
 どうやら本格的にご機嫌がよろしくないらしい。

「さっきの質問の返答がまだだ、不二」
「質問……? あ、ああ」
 隠しごと云々ってことか、と呟いて、彼はこぶしで口元を押さえた。笑っているようだが、それは嘲笑とも言うべきものだった。
「そんなことを気にするんだね、乾は。意外だな」
「意外?」
「君の関心のあるのはもっと別の事柄だと思ってたから」
「別の、といわれてもな……俺の関心は幅広いよ?」
「だろうね、不気味なくらいね」
「…………」
 あからさまな悪意交じりの言葉に、溜め息が出てしまう。そうするとますます不二の機嫌が悪くなるだろうことは分かっていても。

「おまえの考えていることは本当につかめないよ。さっき手塚にあたってたのは何故だ?」
「――あたってた? 僕が? 手塚に?」
 今度こそ不二は声をたてて笑った。
「気のせいじゃないの? ちょっと話してただけなのに」
 ちょっと話していた……か。何を話していたかは分からないが、手塚が明らかに動揺していたのは俺でなくても分かったはずだ。
 不二周助という男は、人の弱みを握るのが妙に上手い。実際に握っていなくとも、知っているぞと匂わせることも上手いのだ。
 四角四面な手塚は、時折不二の餌食になっている。二人のそんな妙なやりとりを知っているのは俺と大石くらいなものだろう。

「ちょっと……なあ」
「乾には関係ないだろ、もういい?」
「…………」
「恨みがましそうな顔しないでよ。君の疑問に答えればいいんだろう?」
 不二は、俺が「恨みがましそうな顔」をした理由を、疑問に答えなかったことにしたらしい。本当は「関係ない」の方だというのに、聡いはずの彼が気付かない。
 ――よっぽど気がたっているんだな。

「隠しごとばかりなのはね」

「秘密があった方が君を繋ぎとめていられるかと思って」
 ――なんて可愛らしい台詞。

 そのにやついた表情さえなければ。

「ふぅん」
「興味なさげだね。僕は失敗したのかな」
「いや、そうでもない」

 俄然興味は湧いてきている。
 不二が苛ついている理由。手塚に八つ当たりした訳。俺を睨みつける行為。
 どこまで本気なのか、その閉じられた秘密を知るということに。
 果たして俺の持っている鍵が正解か不正解か、当たりかはずれか不明だけれど。

 多分合っているという確信が俺にはあった。
 それはうぬぼれかもしれないけれど。

「隠しごとの好きなおまえに、俺からひとつ秘密を渡そうか」
「……何」

 一歩踏み出して、まだ濡れたままの不二の頭に触れた。彼はぎくりと身を引こうとしたが、俺はそれを許さなかった。
 強引に頭を引き寄せて、不二の額に唇を触れさせた。彼の身体がますます強張るのを感じた。
 心の中でカウントダウンをして、タイミングを見計らって。

「誕生日おめでとう」

 俺の黙っていた秘密を、隠し持っていた鍵を不二に渡すと、彼は。
 その目を大きく見開いた。
 かしゃんと。
 その時、その鍵穴は音をたててまわされた。
 証拠に、驚いた表情を一転させて、不二は微笑んだ。
 嬉しそうに、くすぐったそうに。
 俺の持っていた鍵は、どうやら正解のようだった。

 

2004/2/29

 

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