それでも距離は測れない
次の日曜日、不二さんに展覧会に誘われた。前から好きな写真家の個展があるんです、とぽつりと漏らしたのが運の尽き(?)だった。
じゃあさ、さん、一緒に行かない? なんて言われて、別に断る理由もなく――というより少し嬉しくて頷いた。
後になって冷静になって考えると、まだ数回しか話したことのない先輩と休日に出かけるってのはどういうことなんだろう。一人でそんなことを考えで動揺して。何着て行こうとかいっぱい考えて。
浮かれたり落ち込んだり慌てたりしているうちに、いつもはなかなか来ない休日は、とっても早く訪れた。
待ち合わせは駅前。休日ということで人でいっぱいだ。人ごみが苦手なわたしはちょっとくらくらする。
暑いなあ……。
涼しげな噴水に惹かれて、縁のところに腰掛けた。他にも、待ち合わせらしい人が同じように座っている。
待ち合わせの時間は午後一時。今は十二時四十五分。仮にも年上の人を待たせるわけにもいかないので、多少余裕をみてきたが。……余裕みすぎた。
日差しを避けるように俯く。自分の靴先を見据えて、だんだん居た堪れなくなってきた。
張り切ってるっぽいよ、わたし。
こんな早く来て待ってるなんて。
ものすごい張り切ってるよ、ああ。
肩掛けの鞄をぎゅっと抱きこんで一人赤面していると、
「こんにちは」
涼しげな声が降ってきた。
「あ」
のろのろと顔をあげると、待ち人が。
黒のズボンに白いシャツに落ち着いた赤のネクタイ。
いつもの笑顔に、さらさらの髪を風になびかせちゃったりして。
これはさすがに……。
「不二先輩、似合いますね」
「ん?」
「その格好、です」
「……はは、からかってる?」
「違います」
本音……だったんだけど、あんまり信じてもらえないみたいだ。
だって本当に格好いいと思ったのに。
「さんにそんなこと言われるのは初めてだなあ」
「それは……だって私服ってのは」
私服ってのは。
――やっぱり雰囲気が違ってなんだか、新鮮というか……。
「目に慣れない?」
「……そんな感じです」
正直に言うのは恥ずかしくて、不二さんの言葉に頷く。新鮮だの格好いいだのそんなこと口に出来ない。
「さんの私服いいね。可愛いよ」
「ありがとうございます」
ま、社交辞令だ。この人は口が上手い。
「本当だよ?」
わたしの礼が、それこそ社交辞令に聞こえたのかフォローが入る。
「…………」
でもそんなことに、わたしにいったいどんな反応ができるだろう。
不二さんの笑顔が苦笑に変わり、じゃあ行こうか、と促された。わたしはそれに従う。
「あの」
「うん?」
「本当に似合ってますよ」
言葉を重ねたわたしに、不二さんは実に奇妙な表情をした。端的に言うと、「ワケガワカラナイ」。
「ああ、これ」
不二さんが指差した方に反射的に目を遣る。
「雑誌で見て……、すごく好きなんだ」
「……チラシの写真でしたよね」
わたしも好きだ。これが目当てで来たと言っても過言ではないくらい。
大きく引き伸ばしてあると、やはり迫力が違う。
カラーの写真もいいけど、これみたいにモノクロの方が好きだ。淡い色合いの変化に、もとの色を想像する。
木の枝葉をアップで撮られたこのプリントは、まさにざわめく風の一瞬を切り取った感じで、そこから心地よさを汲み取れる。
ああ、好きだ。好き。大好き。
ふ、と図らず息が漏れて口元が緩む。
「気に入った?」
「あ」
一瞬、不二さんと一緒にいることを忘れていた。不二さんはこっちを見て、にこにこしている。
「気に入りました」
「そっか」
そこでこの会話は打ち切られた。笑顔の促しに、わたしたちは次のプリントの前へと移動した。
無言で、じっくりと他の写真を見ていく。不二さんが何も言わないので、わたしも何も言わなかった。
だんだん、不二さんは楽しいのかな、なんて思い始めてしまう。
わたしはいい。好きな写真を見に来ているのだから。不二さんもそうなはずなんだけど、なんか妙に気になってしまった。
こんな無愛想な女と一緒に見に来て、何か楽しいんだろうか。もしかしたら何かこの写真について話したいとか、そんなこと思ってたりしないんだろうか。わたし、何か話し掛けるべき?
ぐるぐる考え込んだわたしは、ますます喋る機会をなくしてしまった。
そうして黙りこんだまま、わたしたちは展覧会場を後にした――けれど。
「これ」
「え」
会場の自動ドアを出たそのとき、差し出されたのは一枚のポストカードだった。わたしが好きな写真の。
「あげる」
「……ありがとうございます」
――不二さんは、格好だけじゃなくて行動も男前だ。こんなことさらっとできるなんて。
いつ買ったんだろう……わたしがちょっとトイレに行っていた隙だろうか。
気障だと思わないでもないけど、それよりわたしは嬉しかった。いつも表情が動かないといわれるわたしだけど、できるだけ笑顔で、そのポストカードを受け取った。
その瞬間。
「おんや、不二じゃーん」
「英二」
明るい声が飛んできたのでふと顔をあげると、えーと、き……菊丸? さんが手を振ってこっちに向かってきているのが見えた。不二さんのクラスメートだ。
小走りでたどり着くと、満面の笑みで菊丸さんは不二さんの肩を叩いた。
「部活の休みにここぞとばかりに羽伸ばしてるねえーみんな。さっき桃とおチビに会っちゃった」
「ああ、仲いいねえ、あの二人は」
親密な空気だ。よほどこの二人も仲がいいんだろうな。
カードを手に持ったままぼんやりと二人を見ていると、菊丸さんがわたしを見てにやりとした。わたしが疑問に思う間もなく、不二さんに再び向かい合ってからかうように言う。
「そっちこそさー、もしかしてデート?」
「違います」
ときっぱり言ったのはわたしだった。二人とも、同時に面食らった顔をした。そしてわたしを見る。そのコンビネーションのよさに感嘆する暇もなく、
「いやその」
まずった。と内心動揺した。表面には出てないだろうけど。
いくらなんでもはっきり否定するのは失礼だったかも。いやでもデートじゃないし……いやいやこれはデートなの? でもただ一緒に出かけてるだけで……それってデートって言わないか?
怒涛のように再びぐるぐる考えていると、
「不二、フラれたねー」
更にからかって菊丸さんが言った。
「フッてません」
また反射できっぱり言ってしまう。
この自分の唐突な性格、なんとかならないものか……。
知らず眉間に皺がよってしまう。だめだ、せめて無表情になれ、わたし!
ただでさえ以前、わたしの仏頂面で菊丸さんを怯えさせたというのに……。でもそう簡単に表情は変えられない。
なんとか表情を戻そうと必死になっていると、
「あー良かったじゃん、不二」
「あは、うん、よかった」
なんだかあっけらかんとした二人の声音。
「んじゃね、これから買い物いくのよ、俺」
「うん、じゃあね」
これまたあっけらかんと別れる二人。
……なんだったんだろう、意味が分からない……。
「では」
不二さんがわたしを見る。
「……はい」
「フラれてなくてよかったということで」
「……それはっ……」
まあまあとなだめるように、不二さんはわたしの口元に手をかざした。
「デートの続きをしようか?」
「……これ、デート、ですか?」
「違うの?」
「いえ、その」
「俺はそう思ってたんだけど」
優しい言葉にくらくらする。ほだされてしまいそうな、甘い誘惑みたいだ。
「…………」
「駄目なら撤回するよ」
「いやっ……不二先輩が、いいなら、わたしも」
いいです、という声は恥ずかしくてものすごい小声になってしまった。
「うん、ありがとう」
優しい。優しい不二さん。
柔らかく手を握られて、その手を引かれて歩き出しても、わたしにはふりほどくことができないしその理由もないし、なにより緊張するというか嬉しいというか。
わたしも、そっと握られた手を握り返した。
こんなにドキドキしている心臓の音が、聞こえなきゃいいなと思いながら。
2003/9/5
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