自分の知らない他人

 


 知らないと思っていた人がいつの間にか知り合いになっていた時。
 驚いたし怖かったし。でも、嬉しかった。
 でも、向こうはこっちを知っているようでも、こっちは向こうを知らない。
 不思議な謎だらけの人。

「あの、不二先輩は……」
「部活行っちゃったよ」
 もうここ数日繰り返された放課後の会話。
「君いっつも不二探してるねえ。追っかけ?」
 は? 何……。
 思わず眉をきゅうっと寄せて目の前の人を見上げてしまう。
 彼は――テニス部の、確か菊丸さんとか言う人だ――びくっとして軽くあとずさった。
 しまった。またやってしまった。
 わたしはよく、この仏頂面と目つきの悪さで人様をびくつかせてしまうのだ。
 直そうと思っても、持って生まれたものだからなかなか改善されない。
 相手に今のような反応をされて、改めて「またやってしまった」と気付く鈍さが一番の原因かもしれない。
「ごめんなさい、違います」
 慌ててフォローするも、菊丸さんは怯えたまんまだ。
 わたしは居たたまれなくなって、もう一度「ごめんなさい」と繰り返して、踵を返した。

 考えると、ここ数日のわたしの行動は、不二さんを追っかけているようにしか思えない。
 放課後、三年六組の教室へ行き、不二さんの所在を尋ね、いないと分かるとがっかりして。
 思い出すと恥ずかしいが、仕方ないでしょと自分を慰める。
 不二さんが謎の言葉を残して以来、わたしは彼と接触する機会がないのだ。
 ――さんの笑顔って久しぶりに見たよ。
 今まで面識がなかった(と思っていた)人に、そんなことを言われて不思議に思わない方が変なのだ。
 どうしてもどうしても気になって、不二さんに直接聞いてみようと思い立ったが――前述のとおり機会がない。こうして追いかけても、まったく捕まらない。
 かといって部活にまで押しかけることはできない。
 ――テニス部には、桃城くんがいる。クラスメートで、不二さんとのことで前にからかわれた。だから絶対、桃城くんには知られたくない。
 不二さんは部活へ行くのが早い。HRが終わってすぐに教室に向かっても、こうやって肩透かしを食らってばっかりだ。
 もう! たまにはゆっくりしてくれ!
 理不尽な怒りを宿しつつ、わたしは自分の教室へ戻った。

ちゃん、暗室使う?」
「まだいいよ」
「じゃあ先にちょっと篭もるね」
 写真部部室の隣にある暗室に、部活仲間の若奈さんが入っていった。どうも写真部は地味な印象があるため、部員数も少なく、兼部している人がほとんどだ。
 そんなに広くない部室は、雑誌とファイルが納められている本棚と、長机と椅子がある程度で、実に質素だ。しょうがない、どうせ弱小部なのだ。
 若菜さんが暗室に消えると、部室にいるのはわたしだけになってしまった。
 わたしはなんとなく長机に雑誌を広げながら、本日何度目かの溜息をついた。
 いつになったら不二さんにあのことを問い詰められるのだろう。
 こんな不安定な感じ、嫌いだ。
 雑誌が皺になるのも構わず、わたしは机にうつぶせた。インクの匂いが鼻につく。
 すっきりさせたいのに。
 どうしてわたしのことを知っているのか知りたいだけなのに。
 この苦労はいったいなんなんだ?
「あれ、さん一人?」
 部室の扉が開いた気配とともに、とんでもない声が飛び込んできた。机に伏せていた身体を跳ね起こす。振り返ると、わたしのすぐ背後に不二さんが立っていた。
「不二先輩!?」
「うん。久しぶり」
「どうっ……どうしてここに……!」
 部活に行っているはずじゃ!
 ――と、見ると不二さんはジャージを着ている。確かテニス部のレギュラーしか持っていないジャージだ。
 部活の途中……?
「英二に――さんが僕の行方を聞いた子に聞いたんだよ。なんか随分探してくれてたみたいだね」
「そんなことは……っ」
「ごめんね、手間掛けさせちゃって」
 覚悟していなかったわけではないけれど、とうとうわたしが不二さんを探し回っていたことを本人に知られてしまった……。
「何か用事?」
「用事……というか……」
 情けない気分に陥ったわたしは正直どうでも良くなっていた。これ以上知られて困ることも無い……素直に疑問に思ってることを問おう。折角ここまでご足労戴いたことだし。
「聞きたいことがあったんです」
「うん?」
「不二先輩、どうしてわたしのことを知っているんですか?」
「え? それは桃のクラスメイトで写真部だから……」
「そうじゃなくても」
 だんだん言っているうちに、自分がとんでもない自惚れ屋に思えてきた。わたしのことをどうして知っているのかなんて、自意識過剰なんじゃ……。
「…………」
さん?」
 ――でももう引き返せない。
 恥をかくことを恐れてどうする! 今更じゃないか。
 ままよ!
「だって、わたしがあんまり笑わないことを知っている……でしょう?」
「ああ」
 合点がいったというように、不二さんが頷いた。
 その反応に安心する。
 良かった……あんまし的外れなこと言ったわけではないみたいだ。
 しかし不二さんの答えは、思いがけないものだった。とはいえ予想をつけてたわけではないけれど、それにしても有り得ないことだった。
「だって、展覧会でよく会うよ」
 ――展覧会?
「……誰と」
さんと」
「――――」
 記憶に、ない。
「これは一方的だけど、雑誌にも載るでしょ」
「ちっ、小さくですよ!?」
「好きなものを見つけるのには目が早いんだ僕は」
 確かに時々雑誌に応募して、ほんの小さく掲載されたりするけど……。
 いったいどこから見つけるのこの人。
 いつも笑顔だけどなんとなく人を寄せ付けない雰囲気で、他人なんか興味ないねって顔して。
 どこでそんなこと、見ているの……。
さんて、好みの写真の前でずっと立ってるでしょう。で去り際にふって笑うの」
「……そんなことしてましたっけ」
「してるよ? 見てるから、僕」
 本当に分からない。わたし、無意識にそんな恥ずかしいことしてたんだ!
 明らかにされる事実が死にたくなるくらい恥ずかしい。
「学校でも時々見かけるけど、笑顔はほとんど見ないな。桃もそう言っているし。だから余計にさんが笑うのって印象的で覚えてるんだ」
「――忘れてください……」
「それはいやだなあ、勿体無い」
「…………」
 何を言うんだ、この人。
 睨み付けても、不二さんはそんなわたしにお構いなしにニコニコしている。
 自分がまったく意識していない一面を知らないうちに見られていたなんて……。
 顔に血が昇って熱くなるわたしを見つめている、そのことにもますます赤面してくる。
「それを聞きたかったの?」
「……はい……」
「なるほどねえ」
 不二さんはいつもと少し違った笑みを浮かべた。言うなれば、ニヤリとした笑み……。
「僕もさんに用事があったんだよ」
「……なんでしょう、か……」
 ちょっとだけ怖気づくわたしに、彼は柔らかいけれど逆らえそうに無い声で、
「デートのお誘いなんだけど」
 更にとんでもないことを言う。
「はっ……」
「趣味が同じ物同士ってことで」
 不意に手を伸ばして、わたしの髪を一房掴んでくるくる弄った。
 距離が近い。
 触れそうなこの距離に、頭がまともに働かなくなる。
「今度、一緒に見に行こうよ、展覧会」
 流されてるとは思いつつも。
 弱みを握られた気分になったわたしに、その優しい誘いを、
「ね?」
「――……はい」
 断れるわけないのだ。
 不二さんは笑って、わたしの髪から指を離した。
 ぱさりと落ちてくる髪の隙間から、いつにしようか、なんて言う不二さんをわたしは見ていた。
 とてもドキドキしながら。

 

2003/09/29

 

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